NPO法人You’th Careは、性病に悩み、ココロとカラダの不安を抱えている 若いあなた(You)をケア(Care)で包み込みたいという私たちの想いを形にしました。

「’th」には、health(健康)やwith(いっしょに)のthの意味も含まれています。

性病に特化したメンバーの経験を生かして、あなたの性の健康を含めた様々な思いを一緒に考えていきたいと思っています。

また私たちは、セクシャルマイノリティの方々が抱える性の悩みにも寄り添える活動を行っています。

『どんなセクシャリティの方も、相談することを迷わないで来てほしい』というメッセージをカラーに込めました。

メンバー紹介

代表 古谷野 久美
看護師
思春期保健相談士

このサイトをご覧頂きありがとうございます。

若者の皆さん、今どんな悩みや不安を抱くことがありますか?

大人の皆さん、ご自身が若い頃はどのように過ごされていましたか?

私自身、10歳の頃から両親に頼れない家庭環境で育ち、特に10〜20代前半は若者1人で生きていくことの厳しさや苦しさを感じながら生きてきました。 若い頃は悩みや不安を抱えながら、自分1人で解決しなければいけないという思い込みもありました。 また、18歳の時に自身が無症状でクラミジアになった経験もあり、 その頃の私は”自分を大切に”という意味がよくわかっていませんでした。

若者の経済的な不安や、性病になってしまったかもしれないという不安は、頭の中でグルグルと自分を苦しめるのではないでしょうか。 私たちは「なんか不安なんだけどこれってどうなのかな?」と気軽に相談できるような存在になりたいと考えています。 性病の予防・治療を通して、必要な人に必要な医療と笑顔を届けます。 悩みや不安がちょっぴり微笑みに変わる、あなたの些細な変化のきっかけになれたら嬉しいです。

誰もが自分らしい人生の選択をし、自分に生まれて良かったと思える人生を歩めるように一緒に考えていきたいと思います。 そして、その人が持っている本来の力を応援します。

今日もあなたや、あなたの大切な人が幸せでありますように。


副代表 安井 愛樺
看護師

「 性と向き合うことで新しい自分を知る 」
あなたは、あなたのままで素敵です。生きていれば、悩みも尽きないと思います。
自分ってなんだろう、ふと、そんな感情が出てくる時もあると思います。
自分自身の深いところと繋がっている「性」の部分で、悩み、傷つき、苦しくなること
誰に相談していいかわからず、1人寂しさと焦りを感じる時もあると思います。
そんな時は、1人で抱え込まずに私たちに頼ってくださいね。いつでも待っています。

ありのままのあなたが美しい。
自分を知り、愛と笑顔に溢れる日々でありますように。


塩尻 大輔
ケニア医師(ナイロビ大学卒業)
日本医師
医学博士(熊本大学大学院博士課程医学専攻エイズ先端研究者育成コース卒業)

私の育ったケニアでは、たくさんの子供たちがHIVで親を亡くしています。ケニアはまだまだ性感染症で命を落とす人が多いのです。

日本はどうでしょうか。

一見、恵まれた環境に見える日本でも、違う形で性感染症の問題は起きています。

これ以上、性感染症で涙を流す人が増えないよう、若い世代への支援が急務だと考えます。悩みがある人も、ない人も、気軽に訪れられる場所になるといいなと思います。


くが ちえ
看護師
茶道講師

「性は、生涯学習である」
私は現在、4歳と0歳の子供を育てている看護師です。

性の悩みは、若い世代だけのものではありません。
子育て中の夫婦も悩みます。子供が話し始めれば、家庭内性教育について悩みます。
おじいちゃん、おばぁちゃんになっても、悩みます。

でも性は、決してわずらわしいものではなく、人生にたくさんの悦びももたらしてくれます。

問題なのは、性の悩みに対して、多くの人が解決の方法を教えてもらえずにきてしまったことなのではないでしょうか。

私は、若いうちに性の基本を学ぶことは、生涯の財産になり、そして何より、あなたを守ってくれると考えています。
あなたの知りたい!がここにある。You’thCareへようこそ!


野尻 晴華
看護師

「誰一人残されることなく、自分らしく輝く社会を目指したい」

私はアフリカのザンビア共和国にてHIV予防活動や性教育を行うために現在勉強をしています。 日本では性感染症科クリニックで勤務しており、性についての相談ができなくて一人で苦しんでいる姿を多く見ました。 特に若い子たちは、正しい知識や医療にアクセスすることも難しく、誰かを頼ることもできない現状があります。

そんな悩みを抱えている一人ひとりに寄り添い、少しでも心がホッとできる時間を共有することができれば嬉しいです。 「性」について学ぶことは、性感染症や妊娠などの知識だけではなく、自分らしく生きていくヒントを手に入れることができます。

いま「自分らしさ」がわからなくても大丈夫。一緒に見つけていきましょう!


松本奈桜
看護師

みんな日々色んなことにぶつかって、悩んで、落ち込んで、相談して、元気になって、を繰り返している。私は、悩んだ時に元気を取り戻すためには、誰かに相談することが一番の近道だと思っています。
でも、“性”に関することは相談することが難しいと感じ、心の中でモヤモヤしている人は少なくないはず。実際に、私も学生時代は話すことに恥じらいがあり、オープンに話していなかった記憶があります。
だから、「気軽に相談できる場所」を作りたい。

相談したいときに、相談したいだけ、私たちに相談してみませんか?いつでも、待っています!


永瀬大紀(だいちゃん)
大学院生。看護師・保育士・
小学校・特別支援学校教員免許。
にじっぺ茨城代表・LGBTQ。https://twitter.com/nijippe_ibaraki

私の性自認はXジェンダーです。「男性」でも「女性」でもなく、「自分」という性であると自認しています。
性のあり方は人それぞれですし、正しい・間違っているなんてこともありません。
みんなが、ありのままの性のカラーを、自由に表出できる社会にしていきたいとの思いで、日々活動に取り組んでいます。
日本の学校における性教育では、「男性」・「女性」できっぱりと分けられていたり、「異性愛」が前提とされていたりするのが現状です。
これによって、LGBTQ当事者の学生をはじめ、自分に対して違和感や孤独感等を抱いてしまう学生がいるのも事実です。
「男性」だから、「女性」だから、「LGBTQ」だから、といったステレオタイプに固執するのではなく、
「あなた」だからと、一人一人のありのままの性を受け入れ合える居場所を形成していきたいと思います。


辻 香織
会社員(広告業)

「誰もが自分で自分のことを決められる、自分も周りの人も大切にできる世界をつくりたい。」

アメリカの大学に進学して、「同意のない性行為は絶対悪」ということを学び日本の「いやよいやよも好きのうち」などという考えに慣れていた私は、衝撃をうけました。同時に、日本でタブーとされてきた性に関することを「人権教育」として学ぶ国が世界には存在することを知りました。

日本は経済的には先進国ですが、「自分を守る、大切にする」という知識については貧しい国なのではないかと感じています。
そしてその根本には、生きている限りずっと関わりがある「性」についての教育・知識が足りないという課題があるのではないかと考えています。
私は本業では、広告系の会社員をしておりますが、日々感じているこの課題を広告の力やSNSの力を活用して、NPOの皆さんと一緒に解決の方向に導いていきたいです!


本間 理久
元システムエンジニア 会社経営

友人である塩尻先生から今の日本の性病の状況を聞き、愕然としました。

まさか性病が少子化に繋がっているとは思いもしませんでした。 また、若い世代ほど他人には相談出来ない子が多く、一人で悩んでいる子も多いのだろうと想像します。 5人の娘をもつ父としても”他人ごとではない”と思い、自分の出来る範囲で支援させて頂きたいと思いました。

元システムエンジニアの経験からWEBサイトの構築、システム周りを手伝わせて頂きます^^


吉川 仁美
元小学校教師

準備中


サポーター おおばちゃん
大学生|広報担当

みんな!ひとりで悩まないで相談してね!

設立の経緯

代表 古谷野 久美

看護師

思春期保健相談士

夢だった看護師

私の将来の夢は小さい頃から看護師になることでした。テレビで看護師の仕事に憧れを持ったのがきっかけで、小学校の文集にも書いていた程でした。

看護師になってからも看護という仕事が本当に大好きでした。患者さんとご家族の価値観や思いやりに触れ、人生の節目に関わらせていただく経験は、奥深さと共に感慨深い気持ちに何度もなりました。また、「看護」という関わりは、薬の効果を超えて人の心を救える力があると実感しており、たくさんの方々を看護をさせていただける事が有難い限りでした。

特に生死にダイレクトに関わらせていただく機会も多く、命の重みを何度も目の当たりにしました。



世界へ旅に出る

看護師として6年目を過ぎた2018年の頃「私が看護師としてサポートしたい人は誰なんだろう」という問いが生まれました。そこで、世界の医療を見てみたいという思いで一人旅に出ました。イギリスのナイチンゲール博物館、ポーランドのアウシュビッツ収容所、インドのマザーテレサハウス、世界のボランティアの方々やストリートチルドレンの子と触れ合いました。

アジアの医療ボランティアへ参加した事があったため、ぜひアフリカも見てみたいという思いでケニアのアフリカ児童教育基金の会(以下ACEF)を見つけました。

ACEFの活動は、保育園・小学校・職業訓練学校・エイズ孤児院の就学サポート、病院、診療所、エイズケアセンター運営、環境保全活動など多岐に渡っていました。

そして、そこは塩尻先生のご両親が30年前より運営しているNPO団体でした。

ケニアでの経験

私は、医療ボランティアとして、ACEFが運営している病院やHIVの診療所に関わる機会をいただきました。

ケニアの国立病院では、風邪の診察待ちをするかのような数のHIV感染者さんの診療待ちの風景に驚きました。エイズケアセンターでは、カウンセラーさんと一緒に病院に来れない方のための巡回診療に同行させていただきました。HIVの母子感染をして親子で薬を飲んでいるご家族、高齢のため病院に来院出来ないご老人などケニアでのHIVの現実を目の当たりにしました。また、これが私が性感染症に関心を持った最初の出来事でした。

特にエイズ孤児院では、様々な生い立ちがありつつも、強くしなやかに生きている子どもたちを見て、様々な感情が沸き上がりました。

塩尻先生のお母様から孤児の子たちの背景を伺った際に、強く生きる子どもたちの気持ちがほんの少しだけ理解できました。なぜなら、私も若い頃から親に頼れず不安や生きづらさを感じていた時もあったからです。

その時、いま幸せに生かして頂いている大人になった私だからこそ、出来ることがあるかもしれないと思いました。

生い立ち

私の父は私が10歳の頃に自殺しました。遺書には「くみごめんな。こんなお父さんを許してほしい。」とだけ書いてあり、大好きだった父との突然の別れでした。母は私が生まれる前の結婚式の頃より統合失調症を発症し、結婚式も欠席して過ごしました。その後、私を出産しましたが働くことはできず、寝込む事も多い日々でした。私は一人っ子で兄弟はおらず、祖父母や親戚に育てられました。

寝る場所や食事に困ることはありませんでしたが、親戚や様々な人の力をおかりしながら手探りで生きてきたなという感覚があります。祖父母も20代前半までには亡くなり、現在母は地元で叔母たちとゆっくり暮らしています。

家族に頼りづらいという環境で、若者が一人で過ごすことの孤独感や大変さを感じました。その想いと共に、私が生きている中でずっと持ち続けているのは、沢山の方々に愛を注いでいただいたという感謝の想いです。

それはたとえ家族でなくても、手を差し伸べてくれる誰かの愛で、人生は変わるということを身を持って感じています。

これまでに頂いた御恩を、今度は私が世の中のために返したいと決心しました。

若者のために

 それから、自分にできることは何だろうと、模索する日々が始まったのです。日本でもいくつかのNPO団体のお手伝いをさせていただき、様々な素晴らしい活動や、それを利用する人々の事情を知りました。

塩尻先生とのご縁があったのは、ACEFでの活動が終わり帰国した2019年の春でした。

ケニアで塩尻先生のご両親とお話をしていた際に、たまたま塩尻先生が所属する総合病院と、私が帰国後に就職する病院が、一緒であることがわかりました。

お父様から日本にいる塩尻先生を紹介していただき、総合病院での勤務が始まるまでの間、塩尻先生の性病専門のクリニックでお手伝いをさせていただくこととなりました。

クリニックで行っている、性病LINE無料相談では、毎日たくさんの若者から悩みや質問が送られてきます。たくさんの若者が性病に悩んでいること、そしてその背景には、貧困や虐待・性教育の遅れなど、もっと大きな社会課題があることがわかりました。

この時、他のNPO活動や自分の実体験を踏まえ共通していると感じたことがあります。それは、10代を中心とした社会的に弱い立場にいる人が、十分に守られていないということです。

総合病院で働いてしばらくたってから、塩尻先生より一緒に若者をサポートするNPOで活動しないかとお話をいただきました。

塩尻先生と、性感染症分野での課題を共有するうちに、日本の性に関する取り組みで、立ち遅れた部分があるならば自分たちで作っていこう、看護師であるからこそ与えられる安心感があるのではないかと強く思いました。


医師 塩尻 大輔

ケニア医師(ナイロビ大学卒業)

日本医師

医学博士(熊本大学大学院博士課程医学専攻エイズ先端研究者育成コース卒業)

”人助け”の源流、父と母の姿

私の両親は、私が生まれた時から、『人助け』をしていました。幼少期に生活していた滋賀県の家には、いつも見知らぬ人が家にいて、聞けば父親が「家がないので連れてきた。」と言うのです。

生活困窮者が、いつの間にか家にきて、いつの間にかいなくなっていて、入れかわり立ち替わりする生活でした。私たちも貧しい暮らしをしている中、他人の世話までしていましたので、生活は豊かなものではありませんでした。でも、私も4人の兄弟も、それが当たり前になっていました。

一番大変だったのは、子育てをしながら家事をする母だったと思います。しかし父も母も、困っている人は、『彼らのせいで困っているのではないのだ』といつも言っていました。

「一緒にケニアで人助けをしないか?」

小学4年生の頃、家族でケニアへ引っ越すことになりました。父が人助けをしていた姿をみて、すでにケニアで食糧支援活動をしていた村上正雄先生が声をかけてくれたのです。



父は単身赴任も考えたようですが、母が家族で行こうと背中を押したのです。1991年、インターネットもない時代のことでした。

もともと、なんでも手に入り、ものが溢れるような生活をしていなかった私たち家族にとって、ケニアでの生活にギャップはありませんでした。言葉も、地元の学校に兄弟で通っているうちに、あっと言う間に習得してしまいました。数ヶ月後には、言葉をなかなか覚えられない両親の前で、スワヒリ語で内緒話までしていました。ケニアは都市部に行くほど英語を話す人が増えるので、英語も自然と習得していました。

生活面は、掃除も、洗濯も、機械はありませんので手作業でした。自分のことは自分でやる。年下の兄弟や、両親が手の回らないことは手伝うというものでした。コミュニティでもそうです。

ものが豊かではないと、生活は自己完結しませんので、人間同士の助け合いが発生します。どんなにシャイで、コミュニケーションが苦手な人でも、社会との関わりなしに生きていくことはできないのです。

国としては日本よりも貧しいケニアでしたが、人々は支え合い、違いを認め合える環境がありました。

ケニアで医師になる

妹がマラリア感染症(蚊が媒介する病気)で亡くなったことをきっかけに、私は医学への関心が強くなりました。

たくさんの人のサポートを受けて、ケニアのナイロビ大学医学部を卒業すると、ケニアで一番身近な問題であった産婦人科領域で働くことを決めました。

日本では、出産までに子供やお母さんがなくなることは稀なことになりましたが、ケニアでは珍しいことではなかったのです。

私は1人でもたくさんの赤ちゃんとお母さんを助けるために、産婦人科医として二年間働きました。


ケニアから日本へ

ケニアで日本人医師のお手伝いをしたことが日本へ拠点をうつすきっかけになりました。

私はケニアが大好きなので、日本で学んだことをケニアに還元したいという思いで日本で医師免許を取り直しました。

自分の専門科は、感染症科を選びました。ケニアでは衛生状態がよくなく、産科でありながらも感染症への対応も求められました。そして、ケニアは依然として国民の死因が感染症(HIV・結核・マラリアなど)を締めていたからです。

性感染症という課題

私はエイズ治療・研究開発センター(以下 ACC)に所属することにしました。HIV/AIDSはケニアでも日本でも現在進行形の問題だったからです。また、センターではHIVだけでなくさまざまな性感染症についての研究も行われています。センターに身を置くことで、梅毒・淋病・クラミジア・HPVなどさまざまな感染症が日本では蔓延しており、性感染症の分野は必ずしも十分な対策がなされているわけではないことがわかりました。

私は、人のプライベートな部分に触れる性感染症にやりがいを感じ、性病専門のクリニックを立ち上げることにしました。

始めてみると、ACCでは対象にしていなかった、若い学生さんの相談が多かったため、若者向けのサービスの提供も始めました。格安の検査イベントを実施したり、学生さんが気軽に相談に来られる日を設けたり、学生さんの払える範囲での料金設定を設けるなどしてきました。

既存の性病クリニックの形では、「費用が工面できる」、「情報リテラシーが比較的高い」、「クリニックに通える距離」などのハードルをクリアしないと、利用ができません。

また、医療機関であることは、なかなか「予防」の観点でも取り組みづらさがありました。

しかしさまざまな理由で、クリニックのサービスにアクセスできない人に支援活動を広げる必要を感じ、NPO団体の設立に踏み切りました。

設立には、行動力と、モチベーションの高さと、医学的な知識を備えた人材が必要でしたが、ケニアでご縁のできた古谷野さんに声をかけ、代表をつとめてもらうことになりました。

私たちに共通する想いは、性や性病で悩む若者が一人でも減ってほしいということです

団体が大きくなれば、ケニアのHIV/AIDSやエイズ孤児院へのサポートもより一層行っていく予定です。

いつも関わって下さる皆様方、本当にありがとうございます。今後とも、ぜひご支援ご協力どうぞ宜しくお願い申し上げます。

塩尻医師と代表の古谷野